
日本には数々の推理小説・探偵小説が存在し、映画やテレビなどの映像作品へと派生して多くの日本人に名作として認識されているものも少なくありません。

アニメ化されることも多いですね。
特に、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張の3人の有名作家の作品は、現在に至って数えきれないほど映像化され、世代を超えて多くの日本人の心をつかみ続けています。



この3人は知ってる!
その中でも、松本清張の作品で描かれるキャラクターの人物像は、他の2人の作品のものと比べてリアリティに溢れ、読めば読むほど、読む者が感情移入しやすくなる存在なのです。
松本清張が描く人間たち
まず、江戸川乱歩や横溝正史の作品では、ヒーロー然とした主人公から見た描かれ方であるのに対し、清張の作品では悪に手を染めたり、何らかのきっかけで破滅に向かったりする庶民を中心に描かれることが多くなります。



読者が疑似経験するような描写ですね。
もちろん、清張の作品にも正義側の立場の人間が登場しますが、彼らはどちらかというと悪を引き立てるための脇役に過ぎず、むしろ破滅していく人間側が主人公的な存在としてより強調されるのも大きな特徴でしょう。


そして、清張の作品に登場する破滅型の人間は、その多くが「臆病」で「卑屈」、そして「欲深く」「嫉妬深く」て「利己的」で「往生際の悪い」人物として描かれ、基本的には彼らがハッピーエンドとなることはほぼない流れです。



人間の悪い部分を描いているんだね!
江戸川乱歩や横溝正史の作品では、エンディングに希望を見出す描写もありますが、清張の作品はどれも後味の悪いものばかり。そして、それこそが清張が登場人物を通して描く人間のリアリズムであり、彼の作品の醍醐味でもあるでしょう。
人間の本質は昔も今も変わっていない
どんなに良い作品と言っても、やはり時代に合わなくなってきたり、読む者が非現実的に思えてきたりすることはどうしても避けられないもので、最終的には飽きられて行くのが一般的な流れでしょう。
しかし、清張の作品は、その多くが昭和時代に書かれたものでありながら、未だに多くの現代日本人に人気を誇っています。



変われない人間は多いですね。


つまり、本来古い時代背景で執筆されていても、現代的に脚本を変えて再三映像化されている清張の作品に出てくる破滅型の主人公が、現代日本人にとって自分のことのように映し出されているからなのです。



誰もが悪い面を持っているからね!
彼の死後、未だに多くの日本人読者に作品が注目され続けているのは、彼が人間の変えられない本質を生涯に渡って如実に表現してきたことが大きな要因ですが、同時にそれをより身近なものとして作品で見せてきたことも大きな功績でしょう。
永遠に読まれ続ける宿命
清張が活躍していた1980年代までは、彼の多くの読者がフィクションとして純粋に楽しんでいたのかもしれません。しかし、現在は、たとえフィクションであっても、自分に起こるかも知れない「未来の姿」として認識する読者も少なくないのではないでしょうか。



現代人への戒めかもしれませんね。


清張の作品には、同じ作品を何度見返しても色あせない強い説得力が込められていますが、それは人間が懲りずに何度も同じ間違いを犯してしまう動物であるからであり、それを人間が認めざるを得ないからです。



これ本当にわかる!
まとめ
清張の作品は、経営者の立場からでも考えさせられる描写が多く見られ、反面教師にすべき人物も多く登場し、それまで順調であった仕事が突然傾いたり、欲のなかった人間がある日から凄まじい欲に目覚めたりとダイナミックです。
人間は人生の良い時は、何も深く考えることなく、ずっとその状態が続くものであると思ってしまいがちですが、一旦人生の谷に落ちてしまった時、どうしてもっと早く手を打たなかったのかと非常に後悔する自分を受け入れざるを得なくなります。
清張が描く人間はそんな後悔をする人間ばかり。特に、自分の考え一つで正にも邪にもなる経営環境を持つ「1人会社」を設立したい方はじっくりと読んでみてください。小規模でも経営にどう向き合っていくべきか、清張の作品から読み解いてみてもよいでしょう。